観光案内 山の辺の道 奈良から大神神社まで完歩

近鉄奈良駅を9時に出発して16時までの7時間、ほぼ歩き通しで大神神社まで完歩しました。

興福寺南円堂(9:10)から春日大社(9:30)へ、奥の若宮、名前が気になった金龍神社(9:40)にお参りし、新薬師寺方面に出ました。

風の無い晴天で太陽がポカポカと暖かく、いたるところで鹿がじっと立ったまま日向ぼっこしてます。(9:47)

白毫寺の奥の東側山沿いで円照寺まで4.7kmの表示です。(10:01)

民家や小さな里山を経ながら円照寺参道に出ました。(11:02)以

前にここで天理までまだ10km近くもあるので挫折して帯解駅から帰ったところです。

正歴寺「孔雀明王像」

 山の辺の道からはすこし山奥にそれますが、正暦寺にはかつては数多くの堂塔伽藍が立ち並んでいたそうで、江戸時代前期の建立から唯一残っている福寿院客殿に珍しい孔雀明王がお祀りされています。

 明王とは、密教が誕生した頃にヒンドゥー教の強力な神々を守護神に迎えて生まれた仏様で、「明」は悟りの知恵を意味し、その王である明王は仏教修行の道中で出遭うさまざまな誘惑や困難を乗り越えていくための力を得ていきます。その厳しさを表すために、如来や菩薩と違って怒りに燃えたような恐ろしい顔をしています。不動明王はその代表的なものですが、孔雀明王は菩薩のような姿をしており、孔雀の羽を背にして宝冠を被り座している均整の取れた姿は優美でさえあります。しかし、その優美なお姿からは想像もできませんが、サソリも食べ、毒蛇にも勝つといい、人間の迷いや煩悩を退治してくれる強力な仏様なのだそうです。

さて、円照寺から2.5㎞と表示された弘仁寺を目指して、普通の村落の中を山の方に向って歩いていきます。弘仁寺は山の中のひっそりとしたところにあり、入山に200円かかります。本堂の中からはお経を読む声が聞こえました。(11:37)

天理高校か大学の野球グランドの横を通って白川溜池に着きますが(12:09)、石上神社まではまだ5キロ弱あります。

近鉄奈良駅から4時間、13時10分にようやく石上神社に到着しました。

都会の喧騒を離れて静かな神社には鶏が放し飼いにされており、太古を感じる雰囲気でした。

靴底が薄いためか足裏にいくつもマメができ正直心が折れそうでしたが、時間も早いし、今日こそは三輪まで完歩したくてとにかく進むことにしました。そこからはのどかな梅林の間を抜けて、大和盆地を右手に見下ろしながら気持ちの良い南山の辺の道です。

南山の辺の道は北よりも歩きやすく、まずは夜都伎神社に着きました。「×ヨトギ」ではなく「〇ヤツギ」神社です。(13:50)

そこから進むと大和盆地を見晴らしながら歩く気持ちの良い道で、

途中には菜の花畑(14:05)や梅林があり、春はここがすごくいいことを再認識しました。

靴を足底が丈夫なのに変えたので前半は好調でしたが、やがてマメができる気配がしてきました。やがて長岳寺に着くと案内所もあり、観光客がたくさんいます。(14:37)天理と奈良の中間点のイメージです。

長岳寺「阿弥陀如来三尊像」

 仏像彫刻の目の表現には、描いたり掘ったりする以外に水晶をはめ込むという技法があり、人間の瞳のようにきらりと光る目、これを「玉眼」と言い、日本で初めて用いた仏像が山の辺の道の長岳寺にあります。人の眼のように光りとてもリアルなので、造られた平安後期にはとても画期的な出来事だったのでしょう。この頃は穏やかで優しい美しさの定朝スタイルが主流でしたが、長岳寺の阿弥陀如来様は丸く張りのあるお顔、肉付きのよい身体、量感のある衲衣のひだなど、玉眼以外も温和な定朝スタイルとは異なり、新しい仏像彫刻の先駆けとなるエポックメイキングな仏像です。

 長岳寺は9世紀に大和神社の神宮寺として空海によって創建された古刹で、12世紀には興福寺の門跡寺として摂関家の子弟を迎えていました。だから仏像も興福寺に所属する仏師が造ったと言われていますが、平安時代に奈良の古仏を修理する日々の中で奈良の彫刻技術を身につけ、京都とは違う美意識を磨いていった奈良仏師(後の運慶につながる系譜)の手によってこの阿弥陀如来様が造られたれました。運慶が円成寺の大日如来でデビューする25年前のことですが、その後、興福寺は平家による焼き討ちで全山炎上し、鎌倉幕府の誕生へと時代は大きく変わります。そのような時期に変化の予兆のように現れた仏様です。

道端には果物や野菜の無人販売(14:54)や、ちょっとした喫茶店、手作り陶芸(15:10)などもあり楽しい雰囲気です。

もっと高級なもの(2~3万円の)を買わないといけなかったのか?ただ、今日の目標は山の辺の道終点にそびえる前方の三輪山です。ここまで来て止めるわけにいきません。

前回へとへとで着いた桧原神社を通過しました。檜原神社があります、ここは本殿どころか拝殿もなく、原始的信仰を守り続けています。檜原神社は「元伊勢」と呼ばれ、伊勢神宮の斎宮と同緯度線上に並んでいます。

ようやく狭井神社に到着しました。

16時に大神神社に到着し、春日和の楽しいウォーキングは厳しい一日修行となりました。大神神社や石上神宮は、どちらも拝殿はありますが本殿はなく、神は建造物ではなく、山や依り代となる樹木、磐座といった自然のものに舞い降りてくるというそうです。

南山の辺の道は観光気分で歩けて楽しい感高いのですが、7時間30㎞歩きは結構応えました。

さらに山の辺の道の起点である「海柘榴市」まで行きました。

そこから桜井駅までの1.7㎞が余計にしんどくて30分以上よちよちとロボコップのように満身創痍で歩いて帰りました。

おまけ<三輪山ご参拝登山>

狭井神社では住所氏名を記入して300円支払い、自分でお祓いをしてすぐに登山です。入口に置いてある竹が杖替わりで嬉しいです。ここは御神体の山に登るので写真撮影禁止で、標高差400メートルを登り1時間くらいで登攀します。

 私たちの前の数人の若者たちが、受付の神職から手厳しい注意を受けています。登山気分で登るなとか、修行で真剣に登ている人がいるので登山のように「こんにちわ」と挨拶するなとか、弁当などの飲食しないことなど、もう登るなと言わんばかりの注意です。

 3の標識あるところに、滝に打たれて修行する行場があります。(撮影禁止なのでネット写真より)

 小一時間ほど登り、8という標識のあるところが頂上の社です。神秘的な雰囲気があります。(撮影禁止なのでネット写真より)

さらに平たんな道を少し進んだ先には、大きな岩がごろごろ転がっている神域があります。飛鳥時代の前にはこの三輪山のふもとに古代王朝があったようですが、そのころは巨石を使う時代だったようで、太陽の出てくる東に位置していたことに加えて、山頂にこのような巨石がたくさんあったので、この山が神聖なるご神体とされたのかもしれません。(撮影禁止なのでネット写真より)

頂上には、まず高宮神社の小さな社があり、そこから少し先に行くと奥津磐座という神聖な場所があります。山頂にたくさんの石があり、それが神聖な場所なのです。たくさんの人が登ってきていますが、みんな飲食禁止も守り、登ったらすぐに下山していき、たいへんマナーがいいです。(撮影禁止なのでネット写真より)

最後に撮影できなかった頂上の写真がネットに出ていました。こんな感じでした。

登拝を終えて、二の鳥居前の「森正」でにゅうめん850円頂きました。

 とても感じのいいつくりの店ですが、予約客以外は屋外のようで、管内の庭を眺めながらの座敷と思っていたので少し拍子抜けでした。

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